ナンパなんてものがこの世に在るのは勿論知っていた。でもそれが、自分とは無縁のものだと言うこともわたしは知っていたのだ。知っていた。だからこそ、今、ものすごく戸惑っている。―――生まれて初めての“ナンパ”に。

「君さぁ、すっげー可愛いよね?ヒマならさ、オレらと遊ばない?」
「つーか今、もしかして友達待ちとかだったりする?ソレなら友達も一緒に遊ぼーよ」
「え、あ、あの……?」

 何だろう、このひとたちは。わたしのイメージの“ナンパ”とは何か違うような、そんな台詞ばかり述べている。てっきりナンパは1対1でやるものだと思っていたのに、残念ながら向こうは3人でわたしは1人。どう考えても数が合わない。数が合わなきゃダメだよなあ、とわたしは当たり前のことを考えるのに、向こうはそうは考えないらしい。

「カラオケとかどう?ボーリングでもイイし、――まあ、もっとイイ場所でもオレらはイイけど?」

 カラオケとボーリング。正直どっちも好きじゃないなあ。だいたい、『もっと良い場所』って何処。特定した場所を言ってくれないとわたしだって選べないのに。ナンパって、相手の意見なんて訊かないものなのかな。それなら、すごく嫌だ。相手の意見も聞いて、それで相手が了承して遊ぶ。そんな風にちゃんと順序を立ててくれないと、わたしは狼狽してしまう。ただでさえ、3対1と言うイヤな数の所為でうろたえているのに。

「とりあえず最初はカラオケ行って、そこで次行く場所考えねえ?此処で考えるより効率イイっしょ」
「お、イイじゃん。じゃー君、…えーっと、何チャン?」
「へっ?…え、あ、――、ですけど…」
「チャンね! うっし、じゃーとりあえず近場のカラオケ入ろーぜ。友達はそこに呼んでもらってさー」
「え?や、えっ、あのっ……!!」

 腕を無理やり引っ張られる。その感触が気持ち悪くて、わたしは思わず手で払う。吃驚したように目を見開く相手の顔が怖くて、まともに見られない。不機嫌にさせた、と顔を見ないでも空気で伝わってきた。

「…チャン、そーゆーコトしちゃダメだろ〜?」
「いってー。赤くなってるし。どーしてくれんの?ん?チャン?」
「やっ…!」

 離れた腕が、再び引っ張られて引き寄せられた。――やだ、触らないで、―――気持ち悪い…!
 恐怖心からぎゅっと瞳を閉じて、その光景を見ないようにする。腕から伝わる感触と声だけでも、恐ろしく嫌悪感がする。触られることをこんなにイヤだと思ったことは、今までに一度だってない。再び振り払おうとして、思い切り手を動かすのに、離れない。強い力で手首が痛む。視界が滲んできて、ほんとうに、辛くなった。

「っや、だ、」

 誰か助けて、誰か――――

「―――っとし、くん!!」
「ちゃん!!」

 反射的に呼んだ名前。その相手から、予想もしない返答があった。

「…と、寿くん…?」
「あ゙?誰だよおまえ、オレらに何か用?」
「すみません。その子、僕と約束してたんです。―――手、放してくれませんか?」

 丁寧な言葉遣い。それでも表情は明らかに怒っているそれで、迫力はとてもあった。相手の3人はそれを感じ取らないのか、ひゅう、と軽く口笛を吹きつつ寿くんに近寄る。全員が行ってくれれば良いのに、1人は残ってわたしの腕を掴んだまま。それがやっぱり、すごくイヤだった。

「ナニおまえ、チャンの知り合いとかだったりする?」
「悪ィけど、今日はオレらに譲ってよ。ヒマでさ、ちょーどチャンに会えたんだって」
「や、…!」

 無理やり腕を引かれて、いきたくもない相手の腕の中に入れられた。もがいても逃げ出せなくて、ひどくもどかしい。
 涙目になりつつある瞳で寿くんを見ると、―――さっきよりも、不機嫌な様子。睨むような瞳は、見ているだけでビクついてしまう。それに加えて普段よりずっと低い声を出されていると、わたしはビクつくどころか怯えてしまいそうになる。 相手は、寿くんなのに。

「(…はあ)穢い手で彼女に触らないでくれますか?できれば、視界にも入らないでほしいんですが」
「――ああ゙?」
「中坊が調子乗ってんじゃねーぞ、オイ」
「ちゃんから離れてください」
「テメェ…!!」

 1人が、寿くん目掛けて腕を振り上げる。ひ、と小さく悲鳴を上げて目を逸らした直後、どすんと豪快な音が聞こえてきた。いやだ、寿くんが怪我でもしたらどうしよう。――わたしなんかの所為で怪我をしたら、どうしよう。海堂のセレクションも受けなくちゃいけないのに。こんな大事な時期にもしも怪我なんてしたら、わたしは――

「――もう、終わりですよね?」

 爽やかな寿くんの声が聞こえてきて、わたしは驚いて顔を上げた。
 瞳に映るのは、背筋をぴんと伸ばして立っている寿くん。その足元で、仰向けになって伸びているのは、さっき寿くんに暴力を振ろうとしていた男の人だ。予想もしなかった展開だけど、これがわたしにとって良い展開だと言うことは理解できた。

「なっ…!?あ、アツシ!?」
「オイ、マジかよ!?アツシは暴走族のヘッドとタイマン張って勝ったヤツだぜ!?」

 動揺する2人とわたし。寿くんだけが涼しい表情でにっこり微笑んでいる。

「どうします?―――続き、しますか?」

 不自然なほどの笑顔。それを見た2人が、ようやく観念したのか『アツシ』と呼ばれ男の人と一緒に去って行った。
 ぽかん、としてしまう。急展開にも付いていけなくて、わたしはぼうっと座り込んだ。―――ねえ寿くん。今の、いったい何だったの。寿くんが怪我しなかったのはすごく嬉しいし安心したけど、どうしてケンカに勝てたのかが未だに分からない。だって寿くんがケンカ強いなんて、わたしは聞いたことがない。

「ちゃん、ごめん。来るの遅くなって…。もっと早く来てれば、こんな風に絡まれたりしなかったのに」
「ぜ、全然大丈夫だよ!それより、寿くん本当に怪我とかしてない…?わたしすごく気になって…」
「うん、大丈夫だよ。思ったよりずっと弱い人達だったから」

(そうは見えなかったけどなあ…)

「ちゃんこそ、怪我してない?僕が来る前に何かされたりとか、してない?」
「う、うん!それはもうばっちり………っ!?」

 慌てて隠した左腕を、無理やり寿くんに引っ張られる。それと同時に激しい痛みが襲ってきて、わたしはほぼ反射的に顔を顰めた。そんなわたしを見て、寿くんも顰めっ面をする。分かりやすい、不機嫌な表情。

「…痣になってる」
「えっ、うそ!?」
「本当。…ごめん。こんなことなら、もっと早く家を出るべきだった」
「そんな!寿くんの所為じゃないよ!わたしがトロトロしてるから、――…っ!?」

 ことばを、遮られた。

「…分かったから、ちょっと静かにしよう?ちゃん」
「と、とし、く、…!」
「今はもう、考えても仕方ないしさ。――デート、しよっか?水族館で、イルカショー観よう」
「み、みる、よ!観る、けど――!」
「手繋いで、離れないようにね。もう二度と、ナンパなんてされないようにしないと」

 寿くんと繋がれた手があつくて、わたしは放してしまいたい衝動と離れたくない衝動に同時に駆られた。どうしようかと少し考えて、結局離れたくないから強く握ってしまう。少し振り返った寿くんが一瞬だけ驚いたような表情をして、すぐに笑ってくれた。さっきの怖い笑顔とは、全然ちがう、優しい笑顔で。
 わたしが“ナンパ”に少なからずの憧れを抱いていたことは、寿くんには内緒にしておこう。


こころのタンク、もうあふれそう


2style.net